「何となく就職するのは嫌だけど、何がしたいと定まってるわけじゃない」「将来は自分の手で何かを創造していきたいけど、周りに埋もれてしまわないか不安」。
そんなモヤモヤを拭いきれない人こそ、「地方」で働くことに目を向けてみてもいいかもしれません。地方に行くということは、そこにある課題と向き合っていかないといけないということ。そう考えてはいませんか?
今回お話を伺うのは、明治大学を一旦休学し、福島県白河市の古民家カフェ「EMANON」で働いている湯澤魁(ゆざわ かい)さん。「自分が何をするべきか考えるために白河に来た」と話す湯澤さんに、普段の活動や休学にあたっての葛藤、地方にかける思いについてお話を聞きました。
1995年札幌生まれ、兵庫県西宮市出身。幼少期を広島で過ごす。 2014年私立灘高等学校卒業。現在、明治大学政治経済学部4年休学中。Ashokaユースベンチャラー。 高校時代、東日本大震災を機に生徒会にて「東北合宿」を立ち上げ、長期休暇の度に宮城・福島の沿岸部を訪問。ボランティア活動やフィールドワークを行い、現地の声を地元神戸で多くの人に伝えた。 大学進学後は、月に2回以上のペースで東北に通い続け、個人や学内サークル「きずなInternational」にて学習支援や農業支援、コミュニティ支援に従事したほか、全国及び海外の高校生が福島県浜通りに集い、地域の未来を考えるサマーキャンプの企画運営、双葉郡広野町の道の駅基本構想策定などに携わった。 また、福島の仲間と「学生団体リプラボ」を立ち上げ、学生向けに事故のあった福島第一原発へのフィールドワークを実施している。 現在は大学を休学し、福島県白河市の「コミュニティ・カフェEMANON」を拠点に、白河の高校生の居場所づくり・地域参画に取り組んでいる。一般社団法人未来の準備室 高校生伴走担当。
「第三の場」としてのカフェ
ーーまずは「EMANON」について教えて下さい。
「震災の時に東京にいた福島県県南地域出身の大学生が何か地元のためにやりたいということで、定期的に若年層に向けたイベントを開催してたんです。でも1週間ぐらいのイベントでできることは限られるから、だったらハードの施設として、高校生が社会に触れたり、自分のキャリアを考えたりできる、普段からある『場』が必要だよねっていう話になって、行政の方と相談して、市の予算で『コミュニティ・カフェEMANON』ができあがりました。」
ーー高校生びいきのカフェと伺っていますが、それはどのような意図なんでしょうか。
「都会の子たちはカフェとか、家でも学校でもないサードプレイスってあると思うんだけど、地方にはそういう場所がない。自分の経験からしても、学校でも家庭でもなく、かつそこが安心感にあふれてる場所が必要だろうと思っています。
また、地方の高校生は教師になりなさい、公務員になりなさい、みたいな昔ながらの意見に囚われていることも多いんですが、でもそれだけじゃないよねっていうことを示してあげたいと思っていて、社会と接する窓口としての場作りは大事かなと考えています。」
ーー高校生と日々接するにあたって思うことや、これからの課題になっていることはありますか。
「実際に火がついている東北の高校生を見ているとその特徴として、自分たちは求められているという自己肯定感と、仲間の存在、あと憧れの連鎖、つまり『この人かっこいいな、自分もなりたい』っていうのがあるのかなと思っていて、そういうことを感じられる場を自分が作っていきたいですね。
具体的にはとことん高校生の話を聞いて、彼らが自分自身を見つめなおす手伝いをしたり、よそから『かっこいい』同世代たちを呼んで視野を広げてもらおうとか考えていますけど、まだまだこれからという感じです。」
なぜ東北を選んだのか
ーー大学時代から東北、特に福島県の海沿いの地域(浜通り)に通っていらっしゃったそうですが、そこまでの経緯を教えてください。
「神戸の高校にいた時代に有志で被災地を訪ねる東北合宿っていう取り組みを始めたんですが、自分たちは日本がどうとか、地に足つかない議論をしている一方で、現地の同年代の人たちが実際に手を動かして目の前の人のために活動をしているのがとてもかっこよく見えたんです。だから関西から明治大学に入って福島が近くなって、実際に自分もそこで何かをやりたいと思うようになりました。」
ーー具体的には現地でどんなことをされていたのでしょうか。
「自分のプロジェクトを立ち上げたい、というよりは『自分の心の底から何かをしたいという人を後押しして、そして一緒に走るような伴走者になりたい』という気持ちだったので、例えば地域の人が農業をやりたいと言えばそのお手伝いをするし、中高生には勉強を教えるし。(福島県の)広野町に道の駅を作るから手伝ってよって言われて、一緒に基本構想を作ったりもしました。」
ーーそこからどのようにして移住を決めたのですか。
「去年1年間はあまり福島に行かずに自分のやりたいことについてもう一度考えてみたんですが、やはり伴走者になりたいと思いました。そして、そのためには伴走を求める人たちに会わなくちゃいけない。だったら、どうすれば会えるだろうとか、人が内発的に行動を起こすきっかけって何なんだろう、っていう方にこの1年で興味が移っていきました。自分は思いを行動に移すのが苦手なので、そのきっかけを知ることで自分もそうなりたいとも考えていました。
その時期にたまたま「EMANON」の代表と会って、この人は面白い人だな、この人の下で働きたいなと思ったのが始まりです。就活することも考えましたが、自分のやりたい『伴走』ということをするのに何が必要なのかもまだわからなくて、手段も選べなくて。だからそれを考えるために1回地方に行こうと思ったんですね。」
―東京を出られる時に悩んだことはありませんでしたか。
「親や福島でお世話になっている方々からは早く卒業しろって心配されたのですが、自分には必要な時間だったのでそこまで悩まなかったです。
あとは、東京の親しい人たちと離れるのは寂しかったです(笑)。白河に来て感じるのは、日常的に会える同年代の友達がどうしても少ないことです。ただ、困ったら気軽に電話すればいいし、そこまで気にしてはいません。」
見知らぬ地域に移住するということ
ーー浜通りには何度も行かれていたというお話でしたが、内陸部の白河に行かれたことはあったのですか。
「全く来たことがなかったです。ずっと通ってきた浜通りは、今でも東日本大震災の影響を受け続けている地域だから、行くだけで『湯澤くんまた来てくれたの。ありがとう。』って言われる。つまり、行くだけで自己肯定感が得られてしまう場所だなと感じていて、自分はなにもできないのに地域に依存するだけになるのは嫌だなと思って、浜通りではない場所でチャレンジしたいと思って白河に来ました。」
「あと僕の場合は代表の下で働きたいと思ったのが大きかったですね。白河が好きだから白河に来たというわけではなくて、一緒に働きたいと感じた人が、地方への問題意識をしっかり持っている人で、たまたま白河で活動していたという感じです。地元だったら愛着が原動力になったりするんでしょうけど、自分の場合はそうではなかったですね。」
ーー地方に移住するきっかけとして、その場所自体というよりは人に惹かれてというのは大きなきっかけになりそうです。しかしそういう人とどのように知り合えるのでしょうか。
「自分と代表の場合はいつの間にかって感じだな(笑)。
でも体系化すると、地方は人が、特に若者が少ない。だから地方に飛び込んだ方が歯車ではなくてプレイヤーになりやすくて、その分プレイヤー同士の交流も生まれる。そこでどんどんご縁が出来て、出会いもある。そういうことだと思います。」
東京と地方のいいとこ取り
ーー学生が地方に飛び込みたいけど迷う理由として、給料や生活環境など、現実的な部分もあるかと思います。湯澤さんの場合はどうでしたか。
「僕の場合は代表と結構相談して、給料とか住む場所とか見定めて来ましたね。地方にずっといるとしんどいし友達も少ないし、たまには東京の風を浴びるようにしようとか、そういう所も話し合いました。迷う理由として他にありそうなのは未知感だけど、そればかりはしょうがない気もします。
消費に関しては大きなスーパーもあるし、ネットショッピングもあるしそこまで困らないですね。
あと結局白河と東京は近いんですよ、疲れたら東京に行けば友達いっぱいいるし、飲みに行くし、泊まれるし、みたいな。」
ーー東京在住者はそこはうまく活かせそうですよね。
「2拠点居住でいいですよね、お金はかかるけど(笑)。
東京の魅力って多分誰もが互いに無関心で、人の中に紛れ込めるところだと思うんですけど、ただその中でずっと過ごすのはしんどいと思います。
地方では主体的に動きやすいし、『自分が主役』感を持てます。若いだけでチヤホヤされますし。」
「伴走者」としての将来
ーー近い将来の目標ややりたいことはありますか。
「理不尽の集大成と言える原発事故の被害が残っている中で、福島県の中でも浜通りは自分にとっても思い入れの強い地域で、お世話にもなってきたから、将来は浜通りで何かしたいです。
浜通りは白河の比じゃないくらい若者が少ない地域だから、自分がプレイヤーとしてやりたいと思っているけど、そこで何をするかを見つけて具体化したいっていうのがここ数年の目標ですね。
でも『伴走』っていうのは変わらないと思う。それ面白いな、一緒にやろうぜ、でやっちゃうみたいな(笑)。そんな姿を見せられたらいいですね。」
ーー地方に踏み出したいけど迷っている、そんな学生に一言お願いします。
「自分は地方を選んだという実感はないし常に迷っているので先輩面はできないけれど…。思うのは、野心を持った人や『地方』という場を生かして名を上げようという人のほうが地方には入りやすいかもしれないですね。
一方で、そうでなくても、『自己実現』とか『自分らしくいる』ために地方に行ってみるというのはひとつの手としてお勧めできます。選択肢は多い方がいいですし!」
おわりに
いかがでしたでしょうか。
湯澤さんがキーワードとして用いられている「伴走」という表現は、今地方で求められている役割を的確に言い表す表現だと思います。
メインで走る人を単にサポートするだけではなくて、自分も一緒に走る。「よそ者」が「よそ者」として終わってしまうのではなく、本来主役たるべきそこに住まう人々と共に奔走して、サポートする。自分(筆者)がやりたいことにも近いのかもしれないなと、モヤモヤが解消されたような気がしています。
また、若いうちから積極的に地方に移って成功を収めている方々が多く取り上げられるようになったいま、地方に行くことは大胆な行動であって、その地域のために尽くす覚悟が必要だと捉えられがちになっていると思います。
ところが湯澤さんのお話からは、「地方」は主体的に社会課題を解決したい人には最適のフィールドであるとともに、自己肯定感を得たい、自分らしくいたい、といったいわば「普通の人」にも開かれた場所だということが分かりました。
行った場所にじっとしている必要はない。嫌になったら戻ってくればいい。最初はそれぐらいの気持ちで地方に一歩を踏み出してみていいかもしれません。
「コミュニティ・カフェEMANON」:http://emanon.fukushima.jp/