東京から電車で1時間半。茨城県の中央部からやや北東に位置するひたちなか市は、99.97k㎡の面積を有しています。国営ひたち海浜公園をはじめとした誰もが知る観光スポットがあるだけではなく、タコの加工生産やほしいもの生産、さらには日立グループの工場が多数存在するなど、幅広い産業が根付くまちです。
そんなひたちなか市で、民宿『満州屋』を経営しながら地域活動「イバフォルニア・プロジェクト」のメインメンバーとして活躍する小池伸秋さん。今回、私たち「観光・宿泊業コース」を選択したインターン生3名で、小池さんに現地を案内いただきながら様々なお話を伺いました。この記事ではひたちなか市の環境や小池さん自身のライフストーリーについて迫りながら、ひたちなか市で働き暮らすことの魅力を掘り起こします。
目次
小池さんが営む民宿『満州屋』
『満州屋』は、茨城県ひたちなか市の阿字ヶ浦海岸付近で営まれている民宿です。現在の若旦那が3代目の小池伸秋さん。
1980年代に海水浴場として日本一になるほど海水浴客が押し寄せていた阿字ヶ浦では宿泊施設が足りておらず、次々と民宿が開業。『満州屋』はその流れに乗って、小池さんのおじいさまが創業されました。しかし2000年頃、「常陸那珂港」という大きな港ができた頃に阿字ヶ浦海岸の砂浜が減少するなどの影響もあり、海水浴客が大幅に減ってしまいます。そこからひたちなか市の民宿全体で、夏の海水浴だけでなく、通年でスポーツ合宿の団体客を積極的に受け入れるなど、時代に合わせて民宿の業態やターゲットを変えてきました。
近年ではコロナの影響や後継者不足で廃業してしまう民宿もあるようですが、『満州屋』は建設工事の関係者などのビジネス利用やワーケーション目的の方をお客さまとしながら経営を続けています。ワーケーション等の一人客ニーズに応えるためにドミトリールームのリノベーションに取り組むなど、顧客のニーズに答えながら時代に合わせた経営を行っています。
地元・ひたちなか市に生きる小池さんが『満州屋』を継ぐまで
今では家業である『満州屋』を継ぎ3代目として経営を担う小池さんですが、地元で民宿を継ぐことに対して、最初は必ずしも前向きではなかったのだそう。大学進学を機に地元を離れて東京で学生生活を送った小池さんは、就職活動も東京で行いましたが、希望する企業の内定がなかなかもらえず精神的にかなり消耗したと言います。就職後も思い描いていた仕事ができていない現状に悩んだことから、会社を辞めて地元へ戻りました。戻った後は実家の民宿業を手伝いつつ、全国各地のNPO活動や災害ボランティアに参加。
「就活でメンタルをやられていたことや会社をすぐに辞めてしまったことから『自分は社会不適合者、生きている価値がない』と思ってしまっていた中で、『誰かの役に立ちたい、褒められたい』と願っていました。ボランティアって、目に見えて分かりやすいじゃないですか。自分中心で不純かもしれない動機ですが、結果的には誰かの役に立っているはず。人のためになることをするのは自分にとってもいいことだな、と思っています」
そんな中で『満州屋』を手伝いではなく、きちんと継ごうと決めたきっかけは、2011年の東日本大震災でした。この震災で茨城県内でも少なくない被害があり、小池さんは震災のダメージの大きさを見て「いい加減ちゃんとしないとな」と思い、『満州屋』の売上を伸ばすために広報戦略などを強化しようと考え始めます。自分にもできることを探した結果、趣味でやっていたキャンプを活かそうと思い、2015年に民宿に併設してキャンプ場の運営を開始しました。
キャンプ場を新たに始める際には、やってみたいという思いの一方で、本当にうまくいくのかどうか悩んだそう。そんな中で、じゃらんリサーチセンター(JRC)が募集していた「未来を切り拓く『次世代旅館・ホテル経営者育成プログラム2015』」への参加が、キャンプ場を始める勇気を出すきっかけとなりました。
「このプログラムを通して、現在でもお互いに泊まりに行く仲の、刺激をしあえる仲間たちに出会えました。これは人生を変えるくらい良い出会いだったと思います。プログラム参加者の世代はバラバラでしたが、共にプログラムに参加するうちに、『このメンバーに負けてられないな』という思いが生まれ、キャンプ場を始める勇気を出すことが出来ました。その結果、始めた当初はうまくいかないことや大変なこともありましたが、今では『満州屋』経営の柱になっています」
刺激しあえる仲間の存在が自分の背中を押してくれたという話を聞き、私たちもこれまでの出会いやこれからの出会いを大切にしていこうと思いました。
「境遇の違う仲間とも平等に接する」小池さんのマインド
小池さんが『満州屋』の民宿経営の傍らメインメンバーとして活躍している「イバフォルニア・プロジェクト」。阿字ヶ浦の海岸で行われている地域活動で、「100年先も豊かに暮らせる海・街をつくる。」をテーマに掲げ、2018年春に地元の有志が立ち上げました。阿字ヶ浦海岸で開催されている「イバフォルニア・マーケット」をはじめとして、コミュニティ&コワーキングスペース「イバフォルニア・ベース」、キャンプ場の運営など、様々な活動をしています。
そもそも、小池さんが地元で地域活動に取り組み始めたきっかけは何だったのでしょうか。
「大きなきっかけとしては、インタビューの最初の方にお話したNPO活動や災害支援ボランティアへの参加です。茨城県つくば市でボランティアをやっていた時に、その様子がNHKの番組で取り上げられました。たまたまですがその時僕がリーダー的な役割をしていたので、番組の中で僕が活動している様子も取り上げていただけました。それを地元・ひたちなか市の方が見ていてくれて、『外の地域のこともいいけど、地元のこともやって欲しい』と声をかけられたんです。その時に『いろんな他の地域でボランティア活動をしているのに、地元のことは全然やってなかった』とハッとして、もうちょっと地元のこともやらなきゃダメかなと思い始めました」
2018年3月、ひたちなか市観光協会が主催した「ひたちなか市の海岸のあり方を考える会」という地域の宿泊業や飲食業などの若手人材や商工会青年部の有志を集めた勉強会を発端に、「イバフォルニア・プロジェクト」が始まります。
第2回の「ひたちなか市の海岸のあり方を考える会」から参加された、「イバフォルニア・プロジェクト」発起人の一人となる小野瀬竜馬さんは、小池さんより7歳ほど年下。ワーキングホリデー制度を利用して3年ほど海外生活を経験し、ひたちなか市へ戻られた経緯を持っています。ひたちなか市内の佐和地区で育った小野瀬さんは、阿字ヶ浦地区で開催されたこの会では“よそ者”的存在でしたが、地元のビーチを海外のような自由なビーチにしたいという「イバフォルニア・プロジェクト」構想をこの会で提案します。小野瀬さんの固定概念にとらわれない大胆なアイデアに感銘を受けた一方で、最初は違和感や不安もあったと小池さんは言います。
「その構想を聞いたとき、かつては“東洋のナポリ”と言われた海岸に、“イバフォルニア”という名前もどうかなと思ったし、これまでの阿字ヶ浦の歴史や伝統をがらっと変えるようなプランだったので、正直抵抗感もありました。そこで、竜馬くんたちが考えている未来がどういうものなのか、という本質的なところを語り合ったんです。時間をかけて話した結果、多少方法やスタイルは違っても最終的に目指す場所は一緒だなと思って、自分もこのイバフォルニア・プロジェクトに参加して取り組んでいこうという腹が決まりました」
プロジェクト開始4年目の現在も、活動に関わる大学生や若者から「のぶさん、のぶさん」と慕われ、年の離れた参加者とも気さくでフラットな関係性を築いていらっしゃる様子がとても印象的でした。「年齢が若くても大人扱いして平等に接する」という小池さんのマインドが、よそ者や若者でも活躍できる環境を実現していると感じます。
とはいえ、“地域のため”とか“誰かのため”と言われるとなかなか腰が重く行動ができないもの。小池さんはうまく“ジブンゴト”にして、自分が楽しめるからやるというモチベーションで活動していると言います。
「東京で就職活動していた頃までは『社会のために、役に立つことを』というモチベーションで周りに合わせて生きていましたが、就活で挫折してメンタルをやられてしまった。そこから自分本位に物事を考えるようにがらっと価値観が変わって、自分をつき動かす原動力はまず自分自身が楽しいとか心地よいと思えること、という考えで活動しています。この考えに至ってからいろいろなことが好転していったように思います。なので周りの方に地域活動を手伝ってもらうときも、『仕事を強制しない』『楽しくやる』ということを何より大事にしていて、その方にとって取り組む内容が“ジブンゴト”に感じられるように気をつけています」
地域活動などを“義務”ではなく自分が楽しむために行うものと捉え、周りの方とも協力しながら楽しく活動する姿勢が、「イバフォルニア・プロジェクト」のような地域を盛り上げる活動を続けていく大事な要素なのだと感じました。
組織運営や経営の視点がもたらす「持続可能な活動」
「イバフォルニア・プロジェクト」を始めるにあたって、小池さんは「まずビジョンを決めよう」と提案しました。その頃ちょうど経営や事業運営におけるビジョンミッションバリューといった勉強をされていた小池さん。
「“北極星”とも言いますが、迷ったときに戻れる指標が必要だと思い、『100年先も豊かに暮らせる海・街をつくる』というビジョンに決めました。そして、じゃあそのビジョンを実現するには何をしたらいいか?と考えるところからスタートして、その後も企画を進めていく中でこれはビジョンからずれているから見直そう、とメンバーで話したり、例えばトラブルや不具合が生じたときにも立ち返る場所を、まず最初に設定できたのはよかったなと感じています」
決めたビジョンに基づいて最初に行ったイベントは「イバフォルニア・マーケット」という、阿字ヶ浦海岸にキッチンカーや雑貨の販売など様々な店舗が並ぶイベント。その開催前に挑戦したクラウドファンディングには資金集め以外にも目的があったのだそうです。
「クラウドファンディングには資金集めのため、というのはもちろんあるのですが、それだけでなく、活動をいろんな人に知ってもらうという広報的な効果や、出来たばかりの組織のチームビルディングにも役に立つはずだと考えていました。クラウドファンディングページ作成を行う中で自分たちが本当にやりたいことを再確認して発信するために言語化できたり、チーム内での役割分担が自然と決まり整理されたのもとてもよかったです。3ヶ月やって、目標1,000,000 円だったものが結果的に 1,500,000 円、112 名の方にご支援いただいて大成功に終わりました」
『満州屋』、「イバフォルニア・プロジェクト」どちらも、小池さんの組織運営や経営に関する視点が、新たな活動の成功をもたらし、現在まで活動が続いているのだと感じました。
恵まれた環境であるひたちなか市で描く未来
小池さんをはじめとして様々な方が活動に参加されて現在まで続いている「イバフォルニア・プロジェクト」。こうした新しい企画や活動を進めていくことは、周囲の阿字ヶ浦やひたちなか市の人々にはどのように受け止められてきたのでしょうか。
「僕がひたちなか市出身だからということも大きかったと思いますが、イバフォルニア・プロジェクトを進めていく上で大きな障害となることはほとんど起きなくて、恵まれた環境だと感じています。新しいことを始めるとどうしても地域の人たちから否定的な反応をされたりすることもあると思うのですが、そういったことはひたちなか市では全くなかったです。積極的に応援してくれるというよりは自分たちの自由にやらせてもらえる感じ。ひたちなか市はもともと観光客がたくさん来ていたという歴史があって、地域内外の人たちに開かれたまちなんだと思います」
そんなひたちなか市で、小池さんはどのような未来を描いているのでしょうか。
「コロナ禍ではイベントが中止になるなどの不都合はありましたが、人々の価値観に変化が生まれて自然環境や暮らしの大切さを改めて認識する人が増えたことで、イバフォルニア・プロジェクトが目指す、海(自然)とともにある暮らし方・ライフスタイルにも共感してくれる人たちが増えてきています。そうした暮らしの質にこだわった生き方や選択肢を選ぶ価値観はこれからもっと広がっていくと思います」
「イバフォルニア・プロジェクト」の将来的な展開についても聞いてみると――
「今後、僕たちの活動をきっかけに新しい組織が次々に生まれていけばいいなと思います。0から1を作り出す、新しいことをやるマインドをこのひたちなか市で僕たちで醸成していって、そのマインドを引き継いだ人たちが新しい活動をする。その連鎖が次々と生まれるまちにしていきたいと考えています」
小池さん自身の、年齢・性別関係なく他者を受け入れる寛容さ、組織運営に関する知識に加え、ひたちなか市の地域内外の人たちに開かれた環境が、「イバフォルニア・プロジェクト」の成功に繋がり、地域内外の大学生や若者をはじめ、幅広い年代の参加者を集めています。私たちも県外からのインターン生として「イバフォルニア・ベース」に伺った際、小池さんたちのアットホームな雰囲気がとても心地よく、地元の大学生との交流もあり背伸びせず自然体でいることができました。
自然に囲まれ、地域に根付いて心豊かに活動する人たちがいるひたちなか市は、自分らしく働き、暮らす場所を求める方々にぴったりの場所と言えるのではないでしょうか。