地方に移住。そして起業。学生起業家に聞く、ローカルの姿。前編

なぜ、ローカルの世界へ?ローカルの魅力とは。

「地域に興味はあるけれど、どのように関わって良いのかわからない。」そんな悩みを抱えている学生さんは多いのではないでしょうか?そんな方に向けて、地域を舞台に活躍している学生起業家の田中惇敏(たなか あつとし)さんに、地域との関わり方からキャリアの築き方までローカルのリアルな現場をお話していただきました。

田中惇敏さんは、東日本大震災の災害ボランティアをきっかけに、休学して九州から宮城県気仙沼市に移住し、現在も学生起業家として活動されています。気仙沼を舞台にNPO法人Cloud JAPANを立ち上げ、ゲストハウスやカフェを運営するかたわら、わずか1年で被災地の空き家活用モデルを熊本、大分の被災地、東京をはじめとした全国10軒にまで展開しています。

田中惇敏さんと、ゲストハウス架け橋での「絵本カフェ」のお子さんと。

ローカルキャリアの選択まで。

まず、現在田中さんは気仙沼というローカルな地で学生起業家として活躍されていますが、なぜ休学してローカルキャリアを築く決断をしたのか教えていただけますか?

田中:ローカルキャリアを歩もうと決意したというよりは、当時の「気仙沼」に必要だと思ったものが当時はなかったため、気仙沼を舞台に活動することを決めました。それが結果的に、「ローカルキャリア」という道となりましたね。きっかけは震災ボランティアで気仙沼を訪れたことです。ボランティア活動の中で、お金と専門スキルはないけど、時間のある学生ボランティアの泊まれる宿がないことに気付いたんです。当時のボランティアに必要なのはスキルもそうですけど、地域の皆様との信頼関係だったんです。信頼関係を築くには毎日通うことが大切ですよね。だから、支援にくる人たちのために少しでも長く被災地で活動できるよう安価な宿を作ろうと思い、活動が始まりました。

太田:「気仙沼や気仙沼に訪れる人のためになりたい」という思いが先にあって、「ゲストハウス架け橋」が生まれたんですね。

支え合う仲間に囲まれて。

ところで田中さんは、気仙沼という地域で約4年間活動してきていますが、気仙沼で活動する魅力とは何でしょうか?
田中:2011年3月11日、悲しい出来事が起こり、今もその悲しみが続いている街だからこそ、震災前から住んでいる住んでいないに関わらず地域のみんなで助け合い、協力して活動しようという気概に溢れている点は気仙沼の魅力だと言えると思います。

太田:私も実際に足を運んでみて、気仙沼には多様性を受け入れる寛容性のような温かさを感じました。

田中:そうなんですよね。実は、震災後に多くの若者が気仙沼にUIJターンしており、体感的には東京や福岡以上に日々の苦労を共有できる同世代が多いです。最初の2年半はまだUIJターンも少なかったので心許せる時間(カラオケ行くとか気兼ねなく飲めるとか心から楽しめる時間)がなかったんです。同世代の仲間の存在は、活動の継続性に繋がってくるので大事にしたいと思っています。そういう場があるのも、気仙沼のもうひとつの魅力だと言えると思います。

UIJターンの同世代の仲間たち。毎週のように顔を合わせ、組織を超えて様々な活動を行う。

太田:魅力的ですね。仲間がいるのは心強いです。気仙沼に限らず、ローカルにはまだまだ知られていない魅力が詰まっていそうです。

変化と向き合うこと。

次に、気仙沼で活動する中で苦悩や課題がありましたら教えてください。

田中:事業でいうと、移り変わるニーズに対応していくことです。日々ニーズが変わるのは全国どこでもそうですが、被災地は特にニーズの変化のスピードが早いです。そのため、柔軟に対応していく力と先を見据える力が強力に必要になってきます。例えば、「ボランティア」が減少している中、別の切り口で気仙沼に来てくれる人を増やすことが必要だと感じています。被災地としてではなく、純粋に気仙沼が好きで訪れたいという人を増やすことが大事だと思っています。

太田:被災地ならではの難しさがあるんですね。一方で、「変化が早いからこそ楽しい」という見方もできますね。地域の変化を肌で感じながら考え行動に移していくことは、一見大変ですが、その分やりがいも大きいかと思いました。そして、「気仙沼が純粋に好き」という方が、気仙沼の良さがもっともっと引き出してくれる気がしてます。気仙沼は、大事な宝物がたくさん詰まった街だと感じたので、本当に楽しみです。

取材の時に「架け橋居酒屋」でご一緒した地域の皆様と田中さん

関係性を大切に。そして、学び続けること。

田中さんが、ローカルキャリアを築く上で大切にしていることがあったら教えてください。

田中:私を含め地域は、目先の利益ではなく関係性を大切にしています。今回のこの案件は「今後、どのように関係が良くなっていくか」みたいな価値判断です。東京もそうだったら今よりももっとみんなハッピーなのに、と正直思っています。あとは、意識的に東京でのセミナーや勉強会に参加する事を大事にしています。毎日ずっと地域にいることは思考が凝り固まることに繋がりかねません。地方のビジネスも東京のビジネスも本質は一緒ですが、短期間に本質に寄せてくれる機会を与えてくれるのは東京の方が多いです。地方でイノベーションを起こし続けるためには学ぶ機会は外に持った方がいいと思っています。

太田:ゲストハウス架け橋で始まった「絵本カフェ」の仕組みには驚きました。子どもと一緒に出勤して働ける。そして、時給も1000円。地方でも、工夫次第で十分マネタイズ可能な事を絵本カフェの子どもたちの笑顔から教えられました。まさにイノベーションですね。

とある日のゲストハウスの様子。「絵本カフェ」のお母さん、子どもたちとゲストハウスのお客さんが交流を楽しむ

地域のお祭りで架け橋の子どもたちと一緒にかき氷売る。

田中さんは、今後はどういった道を歩もうと考えていますか?将来の夢やビジョンを教えていただけると嬉しいです。

田中:いつも応援してくださる方みんながみんな「卒業した方がいい」とアドバイスくださるので卒業するために福岡には戻ります。ですが、卒業後はすぐに一級建築士になって気仙沼に帰ることを決めています。これはさっきの話で目先の自分の会社の成長を考えると1年間はかなり大きな遅れになってしまいます。ですが、卒業しないという選択をすると応援してくださる方を裏切ることになり今後の関係性が悪くなるので当たり前の選択だと思っています。むしろ復学期間に集中的に九州の空き家に息を吹き込んでいきたいです。これはチャンスであり、運命だと思っています。

夢は「気仙沼発」を作ること。

活動を共にするゲストハウス架け橋のスタッフと。

田中:最終的なゴールは、気仙沼で子ども5人作って農業と漁業と狩猟をして暮らすことです。そして、こういった子育ての仕方・生き方を自分だけでなく、気仙沼スタンダートにしたいですね。それをこの10年以内に実現したいと思います。そのために全国の空き家に今持っている気仙沼の空き家活用モデルを輸出して、気仙沼が潤う流れを作ろうとしています。

太田:新しい生き方ですね。社会課題先進都市と言われる被災地の現場に立ち続け、そして、学び活動している田中さんだからこそ出てくる夢とビジョンだと思いました。地域と関わって行く中で、「自分の生き方」についても見えてきそうです。また、他の地域にここでのアイディア・価値を伝えたり、解決モデルを生かしていくことによって、これから課題に立ち向かおうとする地域に貢献することもできますし、そして、なにより、気仙沼に恩返しができますね。これから課題解決モデルや生き方で「気仙沼発」が生まれてきそうで、聞いていて楽しみになりました。

⇒後編「地域に関わりたい学生へ」はこちらから!

田中惇敏(たなか あつとし)さん

震災当初にボランティアを九州から東北に派遣する団体「Q.E.D.Project架け橋」を九州の大学生とともに設立し、ボランティアコーディネートを行う。休学当初は「NPO法人@リアスNPOサポートセンター」に所属し、釜石の広域的なまちづくりを学ぶ。また、「釜石復興CM事務所」職員として道路の設計や避難路の策定など行政視点からのハードのまちづくりに関わる。その後、「NPO法人海べの森をつくろう会」に所属し、気仙沼で津波から命を守り、自然を愛する人を育てる植樹活動に気仙沼の地域住民と共に参画。現在は、気仙沼でボランティアや観光客が安価で泊まることのできる「気仙沼ゲストハウス“架け橋”」を運営するかたわら、昼間は絵本カフェ、夜間は居酒屋をゲストハウスで行なっている。絵本カフェ架け橋では気仙沼の子育てママ10名を雇用し、子どもと一緒に働ける職場を実現、復興の過程の中で行き場を失った子どもの集う場として使われている。NPO法人Cloud JAPANでは、熊本、大分、東京をはじめとした全国10軒の空き家をその地域に必要な機能を持たせる改修をおこない運用している。NPO法人HOME-FOR-ALLでは、世界的な建築家・伊東豊雄を中心とした建築家と共に東北の被災地17軒、熊本の被災地80軒の「みんなの家」を建設、建設後の運営の補助を行なっている。

「地域にかかわる」を考えるインターンシップ

都市と地方をつなぐ架け橋を目指して、地域プロモーション事業を展開する株式会社ココロマチのインターンシップ。テーマは、地域にかかわってはたらく「ローカルキャリア」。チームでのWEBサイトの運営とリアルな場づくりを通して、「地域とかかわる仕事」を学びます。